1. HOME > 
  2. コラム > 
  3. 20周年出張トーク【ダリナイト 〜恋のダリ騒ぎ〜】

コラム

20周年出張トーク【ダリナイト 〜恋のダリ騒ぎ〜】

2019年07月07日 更新

2019年6月4日。美術館から飛び出し「代官山蔦屋書店」を舞台に開館20周年を記念したトークショー【ダリナイト】を開催。「恋のダリ騒ぎ」と題し、アートテラー・とに~氏とダリを愛してやまない当館学芸員・大野方子がダリトークを繰り広げた。

写左)アートテラー・とに〜 氏 写右)当館学芸員・大野方子

【ダリのここに惚れた】
とにかく多才
大野:もともと本人はアカデミックなことを学びたくて芸術学校に行きました。
とに〜:繊細なデッサンも描けて、画家としての基礎能力も高い。最初は王道にいたんですね。
大野:それをやったうえで“時計がぐにゃりと曲がる”あの画風にたどり着いています。
とに〜:一方で商業的な作品も制作していますよね。
大野:チュッパチャップスのロゴもダリによるものです。依頼されたレストランのその席で紙ナプキンに描いたとか。テキスタイルのデザインにロブスターの柄を入れたり、ファッション雑誌VOGUEに女性用ストッキングや香水などの広告として作品を掲載しています。
とに〜:ファッション業界にも早くから出入りするとは、今でこそ当たり前だけど当時では珍しいですよね。

「実は、ダリ。ナイーブで思慮深くって頭もいい人だったんですよ!」

時代を先取り
大野:純粋芸術をやりつつ奇妙な発明品も作ろうとしていて、自分の顔を写せるピッカピカのネイルを考えたりもしています。
とに〜:今あるんですか?
大野:日本でも3年前に流行りました。それを知ったときは「時代がやっとダリに追いついた!」とガッツポーズ。当時は受け入れられませんでしたが、車の流線形も考えていたようです。
とに〜:インスタレーションの走りもダリ。
大野:1939年、ニューヨーク万博でパビリオンを丸々1個依頼されました。もの凄い大きな水槽を置いて上半身裸の女性を泳がせたり・・・周りから止められ、結局満足いくものができなかったそうです。それに腹を立てたダリは抗議文を書き、ニューヨークの空からビラをばら撒いて帰りました。

【ダリに冷めた瞬間】
コンプレックスこじらせすぎ
大野:ダリにはお兄さんがいて、ダリが生まれる前に亡くなりました。その名前がサルバドール。生涯自分は兄の代わりでしかないんだ、と思っていた節があります。
とに〜:亡くなった兄の名とは、重いものを背負っていますね。
大野:16歳の頃にはダリを非常に甘やかしたお母さんが病気で亡くなります。相当ショックだったようです。妹にお母さんの影を見て、妹に女としての役割りも背負わせていたという話。
とに〜:アブノーマルな関係になってきましたね。
大野:「兄さんは私のお尻や背中ばかりを眺めて描くけど大丈夫かしら?」と妹も思っていたようです。
とに〜:マザコンでありシスコン。だいぶダリに引いてきました・・・

「マザコンでありシスコン。だいぶダリに引いてきました・・・」

ガラを好き放題にさせる
大野:ダリがいったん有名になって稼げるようになると夫婦関係に変化が訪れます。
とに〜:ダリ自体は一途なんですよね?ガラは奔放だった?
大野:ダリがどんなにやりたがってもお金にならない仕事はやらせませんでした。仕事が終わるまでダリを部屋から一歩も出さず、自分はそのあいだ若いツバメと遊んでいたようです。ガラが幸せなら自分も幸せと言い聞かせていたのかなぁ・・・
とに〜:城も買ってあげたとか。
大野:1969年「プボル城」をプレゼントします。でも、ダリはガラからの招待状がないと入れませんでした。
とに〜:奥さんの逢引のための城ですね。

大野:ダリを知れば知るほど今までになかった一面が出てきて、捕まえたかと思うと新しい一面が・・・沼にハマれば生涯楽しめます。
とに〜:諸橋近代美術館の近くにも「五色沼」という沼があるので、ダリの沼と自然の沼、両方楽しめそうですね。

本内容は「広報誌ダリモNo.012」でも掲載中です。

  • LINEで送る
一覧へ戻る
ページのトップに戻る