2013年01月29日 更新
18歳の時、パリに渡った太郎。当時、周りに馴染むことなくセーヌ河沿いで名所を描き帰国して展覧会を開く同じ日本人画家たちを横目に、太郎は「この土地 の人間になってしまおう。ここで生き、動き、ひらめいたものこそが芸術だ」と仏語を学び、モンパルナスでセリグマンやアルプなど後に巨匠となる若い作家た ちと交流しました。
《空間》はパリ時代の太郎が、モンドリアンやカンディンスキーらと交流するで、純粋抽象でなく、何かなまなましく手に触れられるようなものを突き出したい、と描いた作品です。後に私たちを驚かせるダイナミックな作風に至るずっと前のことです。
ところで、サルバドール・ダリはある時、日本記者の「日本の芸術家で誰を認めますか」の問いに「タロー・オカモトだ・・・彼 は自分の人生を貫いているからだ」と答えました。太郎もダリについて「大変才能のある男でね・・・スットンキョウなことをやって、もっともらしく煙にまい ちまうのも得意なんですよ」と述べています。何だか気の合いそうな二人ですが、実は太郎、多くのシュルレアリストと接点がある中でダリとだけはほとんど交 流がなかったそうですから運命は不思議ですね。