2015年01月30日 更新
1924年、詩人アンドレ・ブルトン(1896-1966)による『シュルレアリスム宣言』から始まったシュルレアリスムは、理性から解放された純粋な精神の表出を目指す芸術運動です。シュルレアリストは活動の中で歴史的に無名だった芸術家や思想家を再発見し、先人として高く評価しました。特に19世紀の詩人ロートレアモン伯爵(イジドール・デュカス1846-1870)による叙事詩『マルドロールの歌』(1869)は偏愛されていたと言っても過言ではないでしょう。
彼らがこの作品を愛した理由は、その中の一節にあります。「手術台の上のミシンと雨傘の偶然の出会いのように美しい」。主人公で詩人のマルドロールが暗黒と沈黙の街で出会った美少年を描写する部分です。
このように本来用途も使用場所もかけ離れたものが異質な場所で組み合わさることで、日常性の喪失と新たなイメージが生じることをシュルレアリストはデペイズマン(※1)と呼び、この手法の下で多くの作品を制作しました。
コラージュの第一人者として知られるマックス・エルンスト(1891-1976)は1920年のケルン・ダダ時代からコラージュの実験を行っていました。その後、シュルレアリスムに参加するとデペイズマンの体系下にコラージュを発展・理論化します。評論『絵画の彼岸』(1937)所収のコラージュ論「ウィスキー海底への潜行」では「コラージュのメカニスムとは何か。私はそこに,ふたつの異質なものの偶然の出会いの成果・開発を見ようと試みたのだ」と書いています。
コラージュは、素材を作者の思うままに貼り付けた結果、思い描いていたイメージとはまったく違うものが出来上がることが喜ばれます。ただ、実際に制作をしてみるとそれが案外難しいことが分かります。期待するような、想定外の結果を生み出すためには試作実験を繰り返す必要があるでしょう。エルンストがコラージュのメカニスムについて述べた際に「成果・開発を見ようと試みたのだ」という言葉で締めくくっているのは、コラージュが単に造形表現の技法なのではなく、デペイズマンを視覚化するための実験であったということを表しています。
※1 デペイズマン(仏dépaysement)のもともとの意味は「異国の地へ送ること」、(そのような状態に置かれた者の)「居心地の悪さ、違和感、戸惑い」。手法としての用語「デペイズマン」は主に文学や絵画で使われる。
参考文献:
濱田明・田淵晉也・川上勉(1998)『ダダ・シュルレアリスムを学ぶ人のために』世界思想社
南雄介(2011)「知っているようで知らないシュルレアリスム早わかり」,『芸術新潮』2011年2月号,新潮社
執筆者:学芸員 稲田由希