2015年03月09日 更新
美術館の展示室に入った時、「作品保護のため照明を落としております。」という注意書きを見たことはありませんか?暗くて、作品が少し見えにくいなと感じたことのある方もいるでしょう。展示室内では、作品に当てる照明を暗めに設定することで、紙や植物標本といった光に弱い作品への影響を最小限に抑えているのです。この小さな注意書きのなかには多くの美術館・博物館が抱えるジレンマが隠されています。
美術館の大きな役割には作品の「保存」と「活用」があります。
「保存」とは、後世により長く作品を守り伝え、残すための方策をとることです。一方、「活用」とは広く一般に公開し、学習などに役立ててもらうことをいいます。この2つの役割は互いに相反するものです。というのも、作品の寿命を長らえるためには、展示公開せず、収蔵庫の中に安置しておくのがベストでしょうし、反対に多くの来館者に作品を観てもらうためには、常に展示室に飾っておく方が良いからです。この相容れない「保存」と「活用」という役割が美術館のジレンマとして現場で働く人間を悩ませているのです。
世界中の美術館・博物館ではこのジレンマを解消するために、様々な妥協点を設けています。
それが冒頭で説明したような展示しつつも、劣化要因を最小限に留める方法です。通常、読書などの視作業の推奨照度は500ルクスですが、光に非常に敏感なもの(織物、水彩画、素描、印刷物、植物標本など)の展示環境は、照度を50ルクス以下に保つようにICOM(国際博物館会議)により推奨されています。しかし、50ルクス以下の照度では、ただでさえ見えにくい上、年齢が高くなるほど文字などの識別能力は落ちていきます。ここで、照明学会の定める年間の積算照度を見てみましょう。例えば、年間300日開館する美術館で1日8時間照明を点灯したと仮定すると、300日×8時間×50ルクス=120,000ルクスとなり、照明学会では、この値を年間積算照度の目安として提示しています。この値を基準として、各美術館は50ルクス以下で長期間展示したり、100ルクスで短期間展示したりと、展示方法のバリエーションを広げることが出来ます。展覧会の会期中に作品の展示替えが行われることの一つにこういった理由があります。
以上、照度を例に美術館が抱えるジレンマについて述べました。この他にも展示室内の温湿度など展示環境を作る様々な要素をコントロールして、「保存」と「活用」のジレンマには折り合いがつけられています。
後の時代の来館者に作品を守り伝えることと、今いる来館者に向けて公開することはどちらも重要なことです。それゆえ、作品の「保存」も「活用」も慎重に議論した上で、実践していく必要があります。
参考文献
三浦定俊・佐野千絵・木川りか『文化財保存環境学』2004年、朝倉書店
執筆者:学芸員 齋藤友佳理