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よりみち展:【題材によりみち】

2024年12月01日 更新

「題材によりみち」見出し一覧

ドン・キホーテってどんな話?

古代ローマの伝説がベースに

ギリシア神話の一場面が…!

積み藁って…?

画家も魅了したセーヌ川

雲の男、コンスタブル

ドレフュス事件とは?

シャガールのペルソナが作品に!


 

▶︎ ドン・キホーテってどんな話?
サルバドール・ダリ『ドン・キホーテ』(1957年、公益財団法人諸橋近代美術館)
『ドン・キホーテ』とはスペインの作家ミゲル・デ・セルバンテス(1547−1616)によって書かれた長編小説です。騎士道物語にのめり込んでいた主人公の郷士アロンソ・キハーノは、ある日妄執に取り憑かれます。それは騎士道物語に描かれた世界が実在し、自分が遍歴の騎士として冒険の旅に出て世の中の不正を正す必要があるというものでした。彼は自らを「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」と名乗り、お供のサンチョ・パンサとともに遍歴の旅へと出発します。この物語は小説だけにとどまらず、バレエやミュージカル、映画など様々な媒体によって語り継がれ、今もなお世界中で愛されている不朽の名作でもあります。
 
<主な登場人物>
ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ(アロンソ・キハーノ)
本作の主人公。スペインのラ・マンチャ地方にあるとある村の郷士。騎士道物語の読みすぎで現実と物語の区別がつかなくなり、遍歴の騎士になりきり、愛馬ロシナンテとともに世の中の不正を正し、騎士道物語に描かれた理想の世界を実現させるべく旅に出る。
 
サンチョ・パンサ
ドン・キホーテの近所に住む農夫。「将来島を手に入れたあかつきには統治を任せる」というドン・キホーテからの約束に惹かれ、彼の従者として旅に同行する。
 
ドゥルシネア・デル・トボーソ
近隣村に住む百姓娘アルドンサ・ロレンソをモデルにしたドン・キホーテが作り上げた空想上の貴婦人。ドン・キホーテの遍歴の目的の一つには、ドゥルシネア姫の美貌や気立ての良さなどの美点を世に知らしめさせることも含まれている。

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▶︎ 古代ローマの伝説がベースに
パブロ・ピカソ《戦士》(1962年、公益財団法人諸橋近代美術館)
「サビニの女たちの掠奪」は古代ローマにおける伝説の一つで、多くの画家たちに扱われた主題でもあります。ローマの創始者である初代王ロムルスは、建国したばかりの自身の国に女性が少なかったため、子孫を残し、国を維持することに不安を募らせていました。一代で途絶えてしまう運命を避けたかったロムルスは、近隣国の勇敢なサビニ族に未婚の若い女性を求めるも断られてしまいます。そこで盛大な祝賀会を催すと同時に、招待したサビニ族の女性たちを誘拐することを企てます。結果、大勢の未婚の女性たちが連れ去られ、ローマ人の妻になることを強要されました。のちにサビニ族は女性奪還のためローマと戦争を起こしますが、腕に子どもを抱いたサビニ族の女性たちが新しい夫と親類の間を取り成し、戦争の中止を懇願します。これによりローマとサビニ族は和平同盟を結びました。

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▶︎ ギリシア神話の一場面が…!
サルバドール・ダリ《アルゴス(孔雀)》(1969年、公益財団法人諸橋近代美術館)
ギリシア神話における最高神ゼウスの妻ヘラにはイオという巫女がいました。とても美しいイオにゼウスは目をつけて言い寄り、二人は愛人関係となります。しかし妻の目を欺けるはずもなく、ゼウスはイオを白い牝牛に変えて密会を誤魔化します。ヘラはすぐさま夫の手口を見破りますが、あえて何も知らないフリをしながら美しい牝牛を自分に譲ってくれるよう懇願します。断りきれないゼウスから牝牛を譲り受けたヘラは、全身に百個の目を持つ巨人アルゴスを見張りの任務に就かせます。困ったゼウスは伝令神ヘルメスに、アルゴスを退治し牝牛を助けるよう命令を下しました。ヘルメスは笛でアルゴスを眠らせたところで首を切り落とし、牝牛を解放します。殺されたアルゴスを哀れに思ったヘラは、自分が飼っていた孔雀の尾羽にアルゴスの目を縫いつけました。これが、孔雀の尾羽が目玉のような模様である由来とされています。
 
<登場する神々>
ゼウス
ギリシア神話における最高神。
 
ヘラ
ギリシア神話における結婚を司る女神。ゼウスの正妻。
 
イオ
ヘラに仕える巫女。

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画像:オリュンポス12神の系譜図
ダリモNO.18「4コマ神話劇場」

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▶︎ 積み藁って…?
アルフレッド・シスレー《積み藁》(1895年、公益財団法人諸橋近代美術館)
「積み藁」と聞いて即座に浮かぶのはやはりモネの絵画でしょう。フランスでは19世紀半ばから度重なる経済的な挫折と金融危機といった政治的不安に見舞われました。そのような状況のなかで「農業国フランス」という豊かな国のイメージは、自国の存立に関わる重要なものとして求められるようになります。そういう意味でも、田園風景は人々に安心感を与えるものでした。特にモネは豊穣を象徴する「積み藁」をモチーフにした連作を手がけ、天候や時間によって変化する光の効果を表現しただけでなく、大地から生命が生み出されていく自然の根源的な営みを見出したとされます。ちなみに「積み藁」は、フランスのノルマンディー地方によく見られました。高さは5メートル以上にも及んだとされ、穀物の茎と実がより分離しやすくするために乾燥させる貯蔵庫として使用されていました。

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▶︎ 画家も魅了したセーヌ川
ピエール=オーギュスト・ルノワール《パリ郊外、セーヌ河の洗濯船》(1872-73年、公益財団法人諸橋近代美術館)
本作の題材でもあるセーヌ川は、全長780kmにも及ぶフランスを代表する河川です。パリのセーヌ河畔には歴史と文化が凝縮されており、今でも人々を魅了する場所となっています。印象派の画家たちも度々セーヌ河畔の風景を描いており、特にパリの風景にアクセントを加えるセーヌ川は画家たちにとって近代化していく都市情景に次いで、重要な対象でした。パリ中心部を抜けると大きく蛇行を始め、下流に進むとセーヌの左岸、右岸にはブーローニュの森、アルジャントゥイユ、ブージヴァルといった行楽地やのどかな田園風景が広がり、今日では印象派の聖地としてその名を留めています。印象派の画家たちが都市部の人たちのレジャーを川辺とともに描くようになった大きな要因の一つに鉄道網の発達があります。移動の利便性の向上によるライフスタイルの変貌とともに、印象派が扱う主題も社会と密接したものとなったのです。ルノワールもまた、場所や視点、時間を替え、季節ごとに変貌していくパリの近代性を絵画の中で記録していきました。

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▶︎ 雲の男、コンスタブル
ジョン・コンスタブル《水浴びをする人たち、ハムステッド》(1845年以前、郡山市立美術館)
コンスタブルがハムステッドに移り住んだのは1819年のことでした。結核を患っていた最愛の妻マリアのために、標高の高い空気が澄んだロンドン北部の郊外のハムステッドを居住先に選びました。この地での暮らしは、コンスタブルにとっても新たな田園風景に触れる絶好の機会となり、ハムステッド・ヒースの平原は、この時期の作品でも重要な題材となる「空」や「雲」を観察する理想的な場所となったのでした。また、コンスタブルの雲への関心はイギリスの気象学者ルーク・ハワード*¹の影響もあると考えられています。1820年代にはコンスタブルは膨大な量の空や雲の油彩スケッチを制作しており、それぞれに日時や気象条件に関するメモが記録されていました。自身を「雲の男」と称したほど科学的な視点から空や雲を正確に描写することを追究したコンスタブルは、自然の多様性と流動性を視覚的に表現するため、光の明暗や色彩の効果の分析を作品の中で描写していきました。

*1 ルーク・ハワード(1772-1864):イギリスの気象学者。1803年に『哲学雑誌[Philosophical Magazine]』で発表した「雲の変容について、またその生成と浮遊、消滅の法則について[On the modifications of clouds, and on the principles of their production, suspension, and destruction]」と題する論文を発表し、大きな話題を生みます。この論文で、雲は巻雲、積雲、層雲などに分類された上で神と無関係に生成や消滅することを明らかにされ、ドイツの哲学者ゲーテもこの論文から雲の研究に熱中しました。
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▶︎ ドレフュス事件とは?
ベン・シャーン『ドレフュス事件』(1930年(1984年刊行)、福島県立美術館)
1894年から1906年にかけて起きた「ドレフュス事件」は、フランスを二つの相反する陣営に分断した争いです。発端はフランス陸軍大尉のアルフレッド・ドレフュスが、ドイツに対して軍事機密を漏洩した容疑で逮捕されたことでした。ドレフュスは普仏戦争によってドイツに併合されたアルザス地方出身のユダヤ人であり、それに加え当時のフランスが反ユダヤ主義傾向だったために、容疑者としての信憑性を与えてしまいました。当然ドレフュスは否認しますが、軍法会議は有罪判決を下し、南米の「悪魔島[Île du Diable]」への流刑を言い渡します。その後、軍部内に真犯人がいることが判明し、再審請求をするも、軍部は冤罪を否定します。しかし、ドレフュスを擁護する作家エミール・ゾラが発表した「私は告発する[J’Accuse…!]」が『オーロール[L’Aurore]』紙(1898年1月13日付)に掲載されると、フランス国内は再審を要求するドレフュス派と再審に反対する反ドレフュス派に分断されました。世論に押され1899年に再審が行われるも、有罪判決が下されます。この判決に今度はフランス国外でも大きな批判の声が上がり、同年9月についに共和国大統領によって恩赦を与えられます。そして1906年7月に無罪判決が下され、ドレフュスの軍籍が戻されました。
 
<当事者および関係者たち>
アルフレッド・ドレフュス
フランス陸軍大尉。軍事機密漏洩のスパイ容疑で逮捕される。冤罪にも関わらず、有罪となり流刑に処される。
 
フェルディナン・ヴァルサン=エステラジー
フランス陸軍少佐。「ドレフュス事件」の真犯人。パリ駐在のドイツ大使館付き武官へ機密文書を送った張本人。一度は軍法会議にかけられるも無罪となり、のちにイギリスに亡命する。
 
ジョルジュ・ピカール
フランス陸軍少佐および防諜局局長。ドレフュス逮捕後、ドイツ大使館からエステラジー宛へ発信された手紙を押収するも、隠蔽を目論む上層部によって揉み消された挙句、チュニジア基地の連隊に左遷となる。
 
ユベール=ジョゼフ・アンリ
フランス陸軍中佐。「ドレフュス事件」の証拠となる手紙を偽造する。のちに偽造を自白し、逮捕後に独房で自殺する。
 
デュ・パティ・ド・クラム
フランス陸軍少佐。ドレフュスを告発する。
 
モーリス・パレオローグ
外務書記官。軍事総監が大統領に「ドレフュスが犯人ではない」と断言していたと証言している。
 
エドガー・ドゥマンジュ
弁護士。ドレフュスを弁護する。
 
フェルナン・ラボリ
弁護士。裁判にかけられたゾラを弁護する。
 
エミール・ゾラ
作家。ドレフュスを擁護する「私は告発する[J’Accuse…!]」を発表する。これにより裁判(ゾラ裁判)にかけられ有罪判決を受け、イギリスへ亡命する。

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▶︎ シャガールのペルソナが作品に!
マルク・シャガール《黄色と赤の花束》(1977年、公益財団法人諸橋近代美術館)
シャガールの作品には特徴的なモチーフが初期から晩年まで繰り返し登場しています。例えば、抱き合う恋人たち、新郎新婦、色鮮やかな花、ロバや雄鶏、牛などの動物たち、磔刑像、楽器を演奏する人物、故郷ヴィテブスクの街並みや自身が過ごしたパリの風景などが挙げられます。これらはユダヤ人として生まれた家庭での暮らし、自身の宗教的背景としてのハシディズム*²、パリでの前衛芸術家との交流、自らの恋愛といった数多の要素が彼の絵画に描写されています。

*2 ハシディズム(敬虔主義):ヘブライ語の「恩寵」に由来する言葉で、地上のすべての存在物は等しく神の恩寵を敬虔に敬い慎み受けるという考えに基づくユダヤ神秘主義思潮の一つ。シャガールの回想録によれば、祖父と両親は敬虔なハシディズム信徒でした。
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